とある2年目のMy Life Diary

『人と人とが繋がる・集う居場所を作りたい』先生の日記

2年前の自分に考えさせられる。

”【褒める教育】
褒めることは、子どもの成長を促進し自己肯定感を向上させるという点で非常に優れているなと思っていました。(メリットしかないと・・・)
しかし、昨日のゼミで褒めることは能力のある人が能力のない人に向かって発言することで無意識的に自然と縦の関係を作っていると、、。
 確かに考えてみるとそのような気がします。
そしてもっと深く追及していくと、褒めることの背後にある目的は相手を「操作」することなのではないか!?と。
褒めることを続けていると、子どもは「褒めてもらう」ことを目的として努力し得ようとする人に育っていくのではないか、しかし、褒めるのをやめればその子の成長は止まってしまうのではないか、色々なことが考えられます。
そのような不安を招かないようにするには、「感謝」と「援助」なのではないかと思います。
「感謝」は相手と対等にあることを表し、縦ではなく横の関係を示します。そして「援助」は相手の事をしっかりと見守っている、何かあったらすぐに手助けできる。というような行動やサインを示していくといいのかなと思います。
しかし・・・
『学び合い』の視点から考えるとそれは対個人に焦点が当てられてしまうので有効ではないと思います。どちらかというと家庭の中で使用することが望ましいのではないかと思います。
「褒める教育」の良し悪しを書いているつもりはありません。褒めることはどうゆうことなのかを自分なりに考えてみました。
これからも日々最大限に頭を働かせて、考えをアウトプットしていきたいと思います。”
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2年前の自分の投稿。
ふと読み返すと、無意識に「褒める」ことを躊躇なく行っていたことに気づきます。
クラスをもってみると、色々な所ですぐに子どもたちを褒めて褒めて褒めまくっている自分に気づきます。
そして子どもたちは褒められた子どもたちの姿を真似してそれが良い行動、良いものであることに気づいて行動し始める。
 そうなるとまさに上の人が「操作」しているかのようにもみられる。
一方、子どもたちには感謝もしています。
手伝ってくれた時、モノをもってきてくれた時、すかさず「ありがとう」というようにしています。
感謝されることでその子にとってはいいことしたな~とかこれをすれば感謝されるんだなと思うようになるとそれって結局良いことへ繋がるのではないかなと思います。
「褒める」ことで操作している。「感謝」するは良い行いをすることを促す?心が温まるからまたやりたくなる?
いずれにせよ、無意識に「褒める」ことは子どもたちを「操作」していることに冷静になって気づくし、「感謝」は意識しないとなかなか言えない。
明日からの子どもたちへの向き合い方に考えさせられました。