とある2年目のMy Life Diary

『人と人とが繋がる・集う居場所を作りたい』先生の日記

深入りしない

「評価される世界」

 

子どもも大人も評価されて生活している環境はとてもじゃないですけど、息苦しい気がします。

 

○○ができる。○○のようになってね。もっと勉強してね。

 

なんてことを大人から子供たちへ、大人から大人へ、と。

 

○○のために言っている。は言っている方はそうなってほしい。とか、そうでないといけない。とか、もっと成長できる。とかの期待が込められているのかもしれません。

 

かえって相手のためとはいえ、結局はそうなってほしいという自分自身のため、もしくは子どもたちのためにでもあるのかなと思います。

 

なぜそのように言うのか、その意味の言葉を読み取れと言わんばかりに言ってはきますが、中々あれなので上手く理解できません。

 

そういわれるたびに、また言われそうとか、目が気になってしまい、かえって自分の授業をするというよりは、その人のためにこうあるべきだという授業をしてしまいかねない。

 

なんと苦しいのか、その人のままでいいというのは通用しないのか、それはわがままなのか。自分自身が少しずつできているとか大丈夫とかを思いこんでいるのか。ただ単に自分が成長を止めてしまっているのか。

 

考えれば考えるほど路頭に迷ってしまいますが、まああまり深く気にせずにやります。