とある2年目のMy Life Diary

『人と人とが繋がる・集う居場所を作りたい』先生の日記

ヒントを得る

「聞くだけでも」

 

今日は上越『学び合い』の会に参加しました。

 

ふら~っと顔を出す程度で参加したので、あまり話すテーマなど準備をしてきませんでしたが、それでも司会の方をはじめ、西川研究室の方々が話題を提示していただいたおかげで、良い学びを得ることができました。

 

特に印象的だった言葉が「不寛容さを無くすことが大事」です。

 

不登校の話題に上がった時に、不登校の対応などをつらつらと話されていた先生がいました。

 

その対応の時に、不登校をなくす?未然防止?だったかな。それを無くすには、「不寛容さを無くすことが大事」だとおっしゃっていました。

 

「不寛容=自分が自分を許せない」と言っていました。

 

その不寛容さを少しでも和らげるために『学び合い』が有効なんじゃないか。

 

『学び合い』で不登校を未然に防ぐことができるんじゃないか。

 

ただし、完全不登校の子がいた場合には、それは有効ではなくて、個別に対応することが重要になってくるのでは。

 

未然に防止する上で『学び合い』は有効だとは思ったけど、果たしてその『学び合い』だけで完結できるものなのか。

 

その辺は柔軟に考えて対応する必要がありそう。

 

というような感じで、その方のお話を聞いているだけでも、価値ある時間でした。

 

なるほどなるほど。頷くことも多々あって、『学び合い』をやっておけばなんとかなるわけでもないんだと改めて感じました。

 

自分は1学期、『学び合い』をしてみて、自分が見た主観的には好感触。

 

しかし、子どもたちは果たしてどうなのか。ぽろっと、先生が教えるスタイルがいい!という子もいたりして、全員が全員、『学び合い』にフィットするわけではないし、好んでいるわけではないということを感じてはいました。

 

けれど、一斉指導よりは『学び合い』の方が「まし」になる。という言葉を思い出しながら授業を展開していきました。

 

1学期、初めての『学び合い』を子どもたちは体験して、数を重ねるうちに助け合ったり教え合ったりが自然とできるようになって。

 

だいぶ慣れてはきているんじゃないかと思うので、2学期は、もう一段上のレベルを求めてやっていこうと思います。

 

『学び合い』簡単じゃん(笑)みたいな感じで院生時代は思っていましたが、現場に出て実践を重ねていくと、やはり難しくて難しくて、より深く考えることがたくさんあって。

 

自分との勝負なんじゃないかとも思い始め。

 

そこにはブレない芯を持っていることが大事で。

 

揺らぐとそれが子どもたちにもうつって、『学び合い』が難しく感じて空回りしてしまったり。?

 

妄想すればするほど、自分を追い込んでいる気がして嫌なので、一旦ここまでにしとこうと思います。

 

まだまだ序の口には過ぎませんが、やっぱり壁は存在するんだろうなと思うので、この辺りは、人と語り合うことが大事なんですよねきっと。

 

頭の中でミニ西川先生もおっしゃっています。(笑)

 

※『学び合い』なめんなよってどこからか言われてる気がします。