とある2年目のMy Life Diary

『人と人とが繋がる・集う居場所を作りたい』先生の日記

「集団」としての目を

「すぐその子を救おうとする」

 

九九ができない。計算が苦手。いじわるされる。勉強が嫌い。嫌なこと言われた。仲間に入れてもらえなかった。

 

そんなことがあるとすぐにその子を助けようとあの手この手を使ってやってのける。

 

まずは初期段階でどれだけ大きな問題になる前に済ませることができるかどうか。

 

スピード勝負であるが、根本的な解決にはなり得ない。

 

一時的に対処はできてもすぐにまた起こりえることなんて容易に想像ができる。

 

なんて頭の固い思考にあるのか、その子を救おうとすると返って自分が救えないみたいな考えはあるのかどうなのか。

 

自分もただただ、言われたとおりに「わかりました」「はい」とロボットのような答えにもなってきているのだが、果たしてそれもどうかと。

 

まだ1年目である以上は、そうである方がいいのかもしれないがそうであると完全に言われるがままで、そんな学校の風潮の波に飲み込まれていく始末。

 

上手く聞き流しながらも、その子よりもその集団を変えていく努力をしていかねばならない。

 

将来、九九とかなんてできなくてもいいし、生きていく上でなんら影響はない。

 

だけど、九九ってできんとならんのよとか将来も使うから覚えておく必要があるとかって学力を伸ばす方向にすぐに行きたがる。

 

何を大事にしているのか、軸が定まらないのはこっち側としてはいろいろ振り回されてあたふた。

 

個でいきがちなのはここにいる以上はどうしようもないのかもしれませんが、そうであっても「集団」という意識は常に持ち続けていく必要があると感じました。